酒井響希の現在は?2026年の活動、YOSHIKI共演・失明の理由・自作曲を徹底解説
酒井響希(さかい・ひびき)さんは、2歳で両眼性網膜芽細胞腫という小児がんにより両目を失いながら、ドラムを軸に活動を続けてきた大阪出身のドラマーです。2018年にはYOSHIKIさんと日本武道館で共演し、東京2020パラリンピック閉会式にもドラマーとして出演。2026年9月25日には20歳を迎え、音楽ユニット「ミミトココロ」での活動や、自身の作詞作曲によるオリジナル楽曲の発表など、新たな段階に進んでいます。
2026年8月の「24時間テレビ49」では「ボーダーレスLIVE」に出演。さらに、9月19日にはミミトココロ初のホールワンマンライブを開催し、人生で初めて作詞作曲した楽曲「フィリア」を配信しました。これまでの経歴や失明の理由、YOSHIKIさんとの共演、最新の音楽活動を、本人の公式発信や放送記録、講演会情報、ライブ報道をもとに整理します。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 経歴:2006年生まれ。2歳で全盲となり、幼いころからドラムに取り組んできた。
- 代表的な出演歴:2018年のYOSHIKIさんとの共演、東京2020パラリンピック閉会式、2026年の「24時間テレビ49」など。
- 2026年の現在:20歳を迎え、ミミトココロでの活動と自作曲「フィリア」「夢日記」の発信に力を入れている。
【酒井響希の現在】2026年に20歳を迎え、活動は新たな段階へ
酒井響希さんは2006年生まれ。本人の公式X(旧Twitter)では、2026年9月25日に20歳の誕生日を迎えたことが報告されています。少年ドラマーとしてテレビ番組などで紹介されてきた響希さんは、現在、演奏だけでなく、自分の思いを楽曲に込める創作活動にも取り組んでいます。
2026年の大きな動きが、歌手・アーティストのスガタヨシキさんと組む音楽ユニット「ミミトココロ」での活動です。9月19日には大阪市の住吉区民センター小ホールで初のホールワンマンライブを開催。同日、自身初の作詞作曲による楽曲「フィリア」の配信も始まりました。
本人は公式発信で、長く応援してきた家族や仲間への感謝を伝え、ドラマーとして、そしてミミトココロの一員として自分らしい音楽を届けていく姿勢を示しています。10代のころから培ってきた演奏技術を土台に、20歳からは自ら作品を生み出すアーティストとしての側面も鮮明になっています。
また、本人の公式YouTubeチャンネル「Hibiki's Drums CHANNEL(響希'Sドラムチャンネル)」は、ドラム演奏や活動を知るための情報源です。テレビ出演の告知だけでなく、本人の演奏や音楽活動の変化を追うことで、報道で紹介される人物像とは異なる、日々の表現者としての姿も見えてきます。
【経歴・年表】2歳で全盲となった少年が大舞台に立つまで
酒井響希さんの経歴を理解するうえで押さえたいのは、病気によって視力を失った時期、ドラムと出会った幼少期、著名なアーティストとの共演、そしてオリジナル楽曲の発表という節目です。講演会講師の紹介資料や放送記録、本人の公式発信などから、主な歩みを整理します。
| 時期 | 出来事 | 主な内容 |
|---|---|---|
| 2006年 | 誕生 | 大阪府出身。後に全盲のドラマーとして活動。 |
| 2歳ごろ | 両目を失う | 両眼性網膜芽細胞腫の治療で両眼の摘出手術を受け、全盲となる。 |
| 3〜4歳ごろ | ドラムとの出会い | 音への関心をきっかけにドラムに親しみ、演奏技術を磨き始める。 |
| 2018年 | YOSHIKIさんと共演 | 「24時間テレビ41」で日本武道館のステージに立ち、X JAPANの楽曲を演奏。 |
| 2020〜2021年 | 東京2020大会に出演 | オリンピックでは国旗ベアラー、パラリンピック閉会式ではドラマーを務める。 |
| 2026年8月 | 「ボーダーレスLIVE」に出演 | 日本テレビ系「24時間テレビ49」の企画に参加。 |
| 2026年9月 | 20歳・自作曲を発表 | ミミトココロ初のホールワンマンライブを開催し、「フィリア」の配信を開始。 |
少年時代の活動は、テレビ番組やイベント出演を通じて広く知られるようになりました。2018年のYOSHIKIさんとの共演は、その代表的な転機です。その後も大規模な式典や音楽イベントに出演し、2026年にはユニット活動と作詞作曲へと表現の幅を広げています。
なお、過去の報道で「11歳」「12歳」「17歳」などと紹介されていても、記事が掲載された時期が違えば年齢も変わります。2006年生まれというプロフィールと、2026年9月25日に20歳になったという本人の発信を基準にすると、年齢に関する情報を整理しやすくなります。
【失明の理由】両眼性網膜芽細胞腫と、音楽との出会い
酒井響希さんが2歳で全盲となった理由は、両眼性網膜芽細胞腫という小児がんです。網膜芽細胞腫は、目の奥にある網膜に発生する小児がんの一種です。放送ライブラリーに記録された「NNNドキュメント」の番組紹介や、講演会講師紹介のコーエンプラスなどでも、響希さんが幼少期にこの病気を発症し、両眼の摘出手術を受けた経緯が説明されています。
番組記録によると、母親の康子さんが響希さんの目の異変に気づいたのは、1歳10か月ごろでした。病院で検査を受けた結果、両眼性網膜芽細胞腫と診断され、両目を摘出する手術を受けることになりました。現在知られている全盲の背景には、こうした幼少期の病気と治療があります。
視力を失った後、響希さんが強い関心を示したものの一つが音でした。MBSのドキュメンタリー「映像」シリーズでは、幼い響希さんが棒などで壁や柱をたたき、音の違いを楽しんでいたことが紹介されています。そうした様子を見た家族がドラムに触れる機会をつくり、演奏との出会いにつながっていきました。
ドラムを始めた時期については、紹介資料によって「3歳で出会った」「4歳から本格的に取り組んだ」などの表現があります。音への関心が芽生えた幼少期と、楽器としてのドラムを本格的に学び始めた時期を分けて捉えると、記録の違いを理解しやすくなります。
響希さんの歩みは、病気の説明だけでは語り尽くせません。音への興味が演奏につながり、演奏の経験が舞台や人との交流を広げ、現在は作詞作曲にも結びついています。失明の理由を知ることは経歴を理解する入口ですが、現在の活動を評価する際には、本人が積み重ねてきた技術と創作にも目を向ける必要があります。
【YOSHIKI共演・東京パラリンピック】大舞台で示した演奏力
酒井響希さんの名前が広く知られるきっかけとなった出来事の一つが、2018年8月の「24時間テレビ41」で実現したYOSHIKIさんとの共演です。当時11歳だった響希さんは、憧れていたYOSHIKIさんと日本武道館のステージに立ち、X JAPANの「紅」「ENDLESS RAIN」を演奏しました。
当時の報道によると、「紅」では響希さんがドラムを演奏し、YOSHIKIさんがそのプレーを見守りました。「ENDLESS RAIN」ではYOSHIKIさんがピアノを担当し、ドラムとのセッションを披露。YOSHIKIさんは、この共演のために米ロサンゼルスでのライブ後に帰国したことも報じられています。
この共演が注目されたのは、著名なミュージシャンと少年ドラマーが同じ舞台に立ったという話題性だけではありません。響希さんが憧れの楽曲を演奏し、YOSHIKIさんがその音に合わせてピアノを弾くという、音楽そのものを介した交流が実現したからです。
その後、響希さんは東京2020大会にも出演しました。大会関連のプロフィール資料によると、東京2020オリンピックでは国旗ベアラーを務め、パラリンピック閉会式ではドラマーとして参加しています。東京2020大会は新型コロナウイルス感染症の影響で2021年に開催されましたが、名称は「東京2020」のまま使用されています。
さらに2026年8月29日から30日にかけて放送された日本テレビ系「24時間テレビ49」では、企画「ボーダーレスLIVE」に出演しました。本人の公式YouTubeチャンネルの告知では、8月30日午後7時30分ごろの生放送出演が予定されていました。共演者側の発信にも、SixTONESの京本大我さんや山田元気さん、Lisa13さんらと同企画に参加したことが記されています。
本人のチャンネルでは、2018年のYOSHIKIさんとの共演から8年、コロナ禍のリモート動画出演以来6年ぶりの「24時間テレビ」出演として案内されました。子どものころに夢をかなえる企画で注目された響希さんが、20歳を迎える年に再び番組のステージに立ったことは、長く続く音楽活動を振り返るうえで重要な節目です。
【夢日記・フィリア】ミミトココロで始まった作詞作曲への挑戦
2026年の活動を語るうえで欠かせないのが、音楽ユニット「ミミトココロ」とオリジナル楽曲です。響希さんはスガタヨシキさんとユニットを組み、ドラマーとしての演奏に加え、楽曲を生み出す活動にも取り組んでいます。
2026年9月19日、ミミトココロは住吉区民センター小ホールで初のホールワンマンライブを開催しました。大阪の地域情報メディア「大阪ミナミじゃーなる」のライブレポートでは、オリジナル楽曲を中心としたステージや、酒井さんのドラムとスガタさんの歌声が会場に響いた様子が伝えられています。同日には、響希さんが初めて作詞作曲した楽曲「フィリア」の配信も始まりました。
「フィリア」というタイトルは、ギリシャ語で愛を意味する言葉に由来します。ライブレポートで紹介された響希さんの説明では、この曲には恋愛的な愛だけでなく、友情や信頼、仲間同士のつながりといった「友愛」の意味も込められています。自分を大切にする気持ちや、人との関係を見つめる視点が、曲のテーマにつながっています。
もう一つ注目したい楽曲が「夢日記」です。本人の公式Xでは、「夢日記」が2曲目の自作曲として紹介されています。演奏を再現する力だけでなく、自分の思いを旋律や言葉に変えていくことが、現在の響希さんの新たな挑戦になっています。
曲作りの方法にも特徴があります。本人は公式発信で、MIDIキーボードやMacの読み上げ機能を活用しながら制作を進めていることを紹介しています。これは、全盲のミュージシャンがデジタル機器の支援機能を利用して創作に取り組む一例です。障害の有無だけに注目するのではなく、どのような道具を使い、どう作品を形にしているかを見ることで、音楽活動の具体的な姿が伝わります。
「Hibiki's Drums CHANNEL」や本人の公式Xは、楽曲や演奏活動を追うための主要な情報源です。新しい曲の発表、ライブの告知、共演の報告などを確認すると、過去のテレビ出演だけでは見えにくい現在の創作活動を知ることができます。

【母・康子さんの講演会】家族の歩みと、メディアが伝えてきたもの
酒井響希さんの活動を紹介する講演会では、本人のドラム演奏と、母・康子さんによる講話が組み合わされることがあります。講演会講師紹介のコーエンプラスが掲載した2025年5月の講演レポートでも、市民向けの憲法月間記念講演会で、響希さんの演奏と母親の講話が行われたことが報告されています。
母親の講話では、幼い息子が病気によって視力を失ったことや、家族がその現実と向き合ってきた経緯、音楽を通じて歩みを進めてきた過程などがテーマになります。本人の演奏と家族の経験を併せて伝える形式は、来場者が演奏技術だけでなく、その背景にある時間や努力を理解する機会にもなっています。
一方、酒井さんの活動を紹介する際には、家族の物語だけで人物像を固定しないことも大切です。少年時代のドキュメンタリーでは、病気と向き合う親子の姿が大きなテーマでした。しかし、2026年の響希さんは20歳を迎え、ユニットでのライブや作詞作曲にも取り組んでいます。過去の家族の歩みを知ることと、現在の本人を一人の音楽家として評価することは、両立させるべき視点です。
講演会での活動も、演奏活動とは別の意味を持っています。音楽の実演と本人・家族の経験を組み合わせることで、障害や音楽、夢への挑戦について考える機会が生まれます。ただし、講演の内容や構成は開催ごとに異なるため、参加を検討する場合は、主催者が公表する講師紹介や当日の案内を確認するのが確実です。
【プロの結論】酒井響希を理解するために注目したい3つの視点
酒井響希さんの経歴を振り返ると、注目すべき点は大きく三つあります。
第一は、演奏者としての実績です。YOSHIKIさんとの日本武道館での共演、東京2020パラリンピック閉会式への出演、2026年の「ボーダーレスLIVE」など、響希さんには長年にわたる舞台経験があります。幼少期の話題性だけでなく、実際にどのような場で演奏してきたかを追うことが、活動を理解する基本になります。
第二は、創作活動への広がりです。「フィリア」や「夢日記」は、既存の楽曲を演奏することとは異なり、本人が作品を生み出す側に立っていることを示します。演奏技術に加えて、作詞作曲、曲に込めたテーマ、ユニットの中での役割にも注目すると、音楽家としての現在地が見えてきます。
第三は、障害を感動の物語だけに閉じ込めないことです。2歳で全盲となった経験は、響希さんの人生を理解するうえで重要な事実です。しかし、その事実だけで音楽活動の価値が決まるわけではありません。演奏の技術、作品の内容、共演者との関係、ライブで届ける表現などを、ほかのミュージシャンと同じように具体的に見ることが、本人の活動をより正確に捉える方法です。
情報を追う際は、本人の公式Xや「Hibiki's Drums CHANNEL」で最新の告知や楽曲情報を確認し、過去の出演歴については日本テレビの番組記録や放送ライブラリー、講演会情報などと照らし合わせると整理しやすくなります。とくに年齢は記事公開時点によって異なるため、生年と誕生日を基準に考えることが大切です。
【酒井響希】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:酒井響希は2026年現在、何歳ですか? A1:2006年生まれで、2026年9月25日に20歳を迎えました。過去の報道で11歳や12歳などと紹介されているのは、掲載時期が異なるためです。
Q2:酒井響希が2歳で全盲になった理由は何ですか? A2:両眼性網膜芽細胞腫という小児がんを発症し、2歳ごろに両眼の摘出手術を受けたためです。幼いころから音に強い関心を示し、その後ドラムに取り組むようになりました。
Q3:酒井響希とYOSHIKIの共演はいつですか? A3:2018年8月の「24時間テレビ41」です。日本武道館でX JAPANの「紅」「ENDLESS RAIN」を演奏しました。その後、2021年開催の東京2020パラリンピック閉会式にもドラマーとして出演しています。
Q4:2026年の「24時間テレビ49」には出演しましたか? A4:はい。本人の公式チャンネルで「ボーダーレスLIVE」への出演が告知され、2026年8月30日の生放送企画に参加しました。本人の公式発信や共演者側の投稿でも出演に関する情報が公開されています。
Q5:「夢日記」と「フィリア」はどのような楽曲ですか? A5:「フィリア」は響希さんが初めて作詞作曲した楽曲で、2026年9月19日に配信が始まりました。「夢日記」は本人の公式発信で2曲目の自作曲として紹介されています。いずれも現在の創作活動を知るうえで注目したい作品です。
まとめ:酒井響希の現在は、演奏から創作へ広がる音楽活動に注目
酒井響希さんは、2歳で両眼性網膜芽細胞腫により全盲となり、幼いころからドラムに取り組んできたミュージシャンです。2018年のYOSHIKIさんとの共演、東京2020パラリンピック閉会式への出演、2026年の「24時間テレビ49」の「ボーダーレスLIVE」など、これまでに数々の舞台を経験しています。
2026年は20歳を迎え、ミミトココロでのライブ活動と、自作曲「フィリア」「夢日記」を通じた創作活動が大きな節目になりました。現在の酒井さんを知るうえでは、失明の理由や少年時代の経歴だけでなく、どのような音楽を生み出し、仲間とどんなステージをつくっているのかにも目を向けたいところです。
本人の公式Xや「Hibiki's Drums CHANNEL」、ミミトココロの活動情報を継続して確認すれば、今後の楽曲発表やライブ出演の動きも追いやすくなります。これまでの歩みを土台に、演奏者として、そして作詞作曲にも取り組む表現者として、酒井響希さんがどのような音楽を届けていくのか注目です。
(出典: 酒井 響 希(Yahoo!ニュース))